长城日语作文
篇一:长城日语介绍
中央民族大学国際教育学院
2011年8月18日木曜日
慕田峪長城 1
慕田峪長城 2
慕田峪長城 3
慕田峪長城 4
中央民族大学国際教育学院
2011年8月18日木曜日
长城
远看长城,它像一条雄伟的长龙,在崇山峻岭之间蜿蜒盘旋着,有一万三千多里呢!
现在让我介绍一下长城吧:“长城是中国古代春秋战国时期,秦始皇为了防御他国入侵,使用了近百万人力修筑长城,之后一代一代的修筑长城。”
有些地段的长城是修筑在悬崖陡壁?江河湖泊的上面,所以观赏的时候一定要小心!
我来介绍部分长城的关口:“嘉峪关?山海关?居庸关?玉门关?井陉关。”
站在长城上,踏着脚下的方砖,扶着墙上的条石,很自然的想起古代修筑长城的劳动人民来。单看这数不清的条石,一块就有两三千斤重,那是科技没这么发达,只能靠劳动人民的双手和肩膀一步一步的抬上这陡峭的山坡,受伤的有,甚至断了骨头的都有,可想而知,他们修了多少年,才修好长城,佩服!佩服!
长城是中国最重要的文物,是我们中华民族的象征,我为我们中国有这样一个伟大的奇迹而自豪!
篇三:万里长城日语介绍
长城介绍
宇宙からでも見える世界最大の建造物として有名な万里の長城は、東は渤海湾に臨む山海関から、西は甘粛省の嘉峪関まで全長約6350km。中国の距離の単位「里」(1里=0.5km)にすると、1万里を超えるので、 万里の長城と呼ばれているのである。
春秋時代の斉(せい)が領土防衛のため国境に築いたのが長城の起源で、戦国時代の諸国もこれに倣った。秦(しん)の始皇帝は中国統一(前221)後、匈奴(きょうど)の侵入を(转 载于:wWw.zW2.cn 爱作文 网)防ぐため、甘粛(かんしゅく/カンスー)省南部から北へ、黄河(こうが/ホワンホー)大屈曲部の北を巡って東に延び、東北地区の遼河(りょうが/リヤオホー)下流に至る長城を築いたが、なかば以上、戦国時代の燕(えん)、趙(ちょう)などの長城を利用したものであった。この長城の東部の遺址(いし)が東北地区で発見されている。
前漢の武帝(在位前141~前87)のころ、河西(かせい/ホーシー)回廊を匈奴から守るため、長城を蘭州(らんしゅう/ランチョウ)北方から西に、敦煌(とんこう/トゥンホワン)の西の玉門関まで延長した。南北朝時代には北方民族の活動で長城の位置は南下し、6世紀中ごろ、北斉(ほくせい)は大同の北西から居庸関(きょようかん)を経て山海関に至る長城を築き、隋(ずい)は突厥(とっけつ)、契丹(きったん)に備えてオルドス南辺に長城を築いた。長城が現在の規模になったのは明(みん)代で、モンゴルの侵入を防ぐためであった。ほぼ北斉以来の線に沿ったもので、15世紀の前半には河北(かほく/ホワペイ)、山西(さんせい/シャンシー)の北部の長城が強化され、内長
城もつくられてこの付近の長城は二重となり、後半にはオルドス南部から蘭州を経て嘉峪関(かよくかん)までの長城が修築され、16世紀中ごろには大同北西から山海関までが堅固に改修された。
北京市内に残っている長城では、八達嶺、慕田峪、司馬台が最も有名である。1987年12月世界文化遺産に登録された。
長城の構造は、古くは版築で、楊柳(ようりゅう)(ヤナギ)やアシなどを束ねて土と交互に重ね、突き固めてある。日干しれんがも一部に用いられていたが、山西方面より東方は明代以後、焼いたれんがで被覆されるようになった。首都北京(ペキン)防衛のためもあるが、モンゴルの侵攻がこの方面で激しかったことを示している。現在観光の対象となっている八達嶺(はったつれい/パーターリン)付近の長城は、高さ8.5メートル、厚さは底部6.5メートル、頂部5.7メートル。頂部上には高さ1.7メートルの連続した凸字状の垣である女牆(じょしょう)を築き、銃眼が開く。また120メートル間隔で台(とんだい)(一種の見張り所)が設けられ、軍の駐留と監視に役だてた。
長城が交通路と交差する要地には堅固な城壁で囲んだ関城が設けられていた。山海関、古北口、張家口、雁門関(がんもんかん)、殺虎口(さっここう)、嘉峪関などがそれである。清(しん)代に入ると長城は軍事的意味を失い、中国本部とモンゴルとの間の政治的境界にすぎなくなった。なお歴史的事実のうえからみると、外敵防御という長城構築の目的はほとんど達成されておらず、単に威圧感を与えた程度といってよかった。
八達嶺長城
関所の城楼は明の弘治十八年(1505年)に建造され、城楼の東西両側に門が一つずつあり、額として東の門の上に「居庸外鎮」の四文字が彫ってあり西の門の上に「北門鎖鑰」の四文字が彫ってある。八達嶺長城はとても壮観で城壁の高さが平均7.8メートル、その土台が重さ500余キロの大きな花崗岩で築かれている。城壁の上では馬なら5頭、人なら十人が並んで進むことができる。城壁の外側に口があり、パトロールする時、そこから遠見する。射撃孔から矢を射ることができる。ほぼ800メートルおきに宿泊、兵器保存、見張りに使う敵楼、墻台が設けてある。このほか、長城博物館、円形スクリーン映画館もある。
夏には、ライトアップされ、夜景も楽しめるようになった。
慕田峪長城
北京市内から約70km離れた懐柔県慕田峪にあるこの長城は、緑に包まれた起伏の激しさが特徴となっている。
入口から約1000段の階段があるが、八達嶺に比べると規模は小さく、観光客もさほど多くないので、ゆっくり登ることができる。長さ約600mのロープウェイも利用できる。
司馬台長城
北京市の北東約120km、密雲県の古北口に位置する明代の姿のまま残されて
いる長城。水の綺麗な鴛鴦湖によって東と西に分けられた長城は、橋でつながれている。長城の最高点にあるの望京楼は標高が986mもあり、遠くまで見渡すことができ、景色もすばらしい。
また、行く途中で目に入る農村の風景も、北京市内では見られない貴重な光景と言えるだろう。