日语作文日语学习
篇一:日语作文-为什么学习日语
16 なぜ日本語を勉強するのか
私が日本に興味を持ったきっかけは、日本のテレビ?アニメです。「一休さん」とか「クレヨンしんちゃん」とか「ドラえもん」とか、日本のアニメはとても人気があります。 それで日本に留学している友だちに、日本のコミックを買ってきてもらいました。絵もすてきですし、主人公も個性的で、ほんとうに日本のコミックはおもしろいです。しかし、残念なことは日本語が読めないことでした。私は夜間の日本語教室に通うことにしました。どうしても日本語でコミックを読みたかったのです。
今では、だいたい読めるようになりました。日本語がわかるようになると、今度は自分でアニメを作りたいと言う夢が生まれてきました。というのも、私は小さいときから絵を描くのが好きだったからです。できるかどうか、わかりません。でも、この夢を実現するために、来年日本に留学したいと思っています。
私の出身はモンゴルで、大学で日本語を勉強しました。日本語をマスターすれば就職に有利だと思ったからです。
卒業の年に、能力試験の一級にも合格することができました。もちろんうれしかったです。それで、日本向けにカシミアを輸出している会社に就職したいと思って、入社試験を受けました。しかし、面接試験のとき、うまく答えられなかったり、質問された内容がわからなかったり、さんざんでした。面接官から、「もう少し、日本語の勉強をした方がいいですね」と言われました。
自分は日本語ができると思っていたのに、自慢の鼻がぽきっと折られてしまいました。悔しくて、その日から日本語の猛勉強が始まりました。とにかく日本語の本をたくさん読みました。日本のビデオを繰り返しくり返し聞きました。
今、私は旅行会社で日本語通訳をしています。
「継続は力なり」です。努力さえすれば、きっと夢は発見できます。皆さんも日本語の勉強、がんばってくださいね。
1. ~ことにする
◆ いろいろ考えましたが、○○大学を受けることにしました。
◆ 今度の夏休みに、北海道に行くことにしました。
◆ このことは、他の人には話さないことにしましょう。
2. というのも~からだ/んだ
◆ お金がない、というのは給料前だからだ。
◆ 転職することにしました。というのも今の会社は給料が安いからです。
◆ このことは内緒にしてください。というのも妻に知られる困るんです。
3. ~かどうか
◆ おいしいかどうかは、食べてみたら分かります。
◆ それが事実かどうか、調べる必要がある。
◆ その人が成功するかどうかは、なんで決まるのでしょうか。
4. ~方がいい
◆ 風のときは、ゆっくり休んだ方がいいですよ。
◆ 彼女には話さない方がいい。と言うのは彼女はおしゃべりだから。
◆ 部屋は狭いより、やはり広い方がいい。
5. ~さえ~ば
◆ あなたさえよければ、私はかまいませんよ。
◆ 健康でさえあれば、何でもできるよ。
◆ このラーメンは、お湯を注ぎさえすれば、すぐ食べられます。
田中:李さんが日本語の勉強を始めたきっかけは何ですか。
李 :国にいるとき、日本の留学生と友だちになってのがきっかけなんです。
田中:ああ、そうですか。
李 :私も日本語を勉強したかったので、私が彼に中国語を教えて、そのかわりに、彼か
ら日本語を教わったんです。
田中:それはいいですね。彼とは、今もつきあっているんですか。
李 :ええ、メールでれんらうを取り合っています。今年の夏に、こちらに来るというこ
となので、楽しみにしているんです。
田中:何年ぶりですか。
李 :3年ぶりです。町の様子もずいぶん変わりましたから、驚くだろうと思います。 田中:それで、日本語は仕事でも役に立っているんですか
李 :ええ、今の会社の取引先には日本の会社が多いですから。日本のことわざにある「芸
は身を助ける」
田中:ずいぶん難しい日本語を知っているんですね。
1. あなたが日本語の勉強を始めたきっかけは何ですか。
→ のがきっかけです。
2. 今、どこで日本語の勉強をしていますか。
→ で勉強しています。
3. 日本語の勉強を始めて、どのくらいになりますか。
→ になります。
4. あなたは、日本人を会話をする機会がありますか。それはどんなときですか。 →(はい/いいえ) 。それはときです。
5. 今、自分の日本語の力はどのくらいだと思いますか。
→ たぶん 程度だと思います。
6. あなたの国では、日本語を勉強する人は多いですか。
→(はい/いいえ)。
7. その人たちが日本語を勉強する目的は何ですか。
→ とか とかです。
8. 日本語の勉強で、どこが一番難しいと思いますか。
→ と思います。
9. 日本語とあなたの国の言葉の違うところを、三つ挙げてください。
→ 一つは、二つは
、三つはところです。
10. あなたはこれからも日本語の勉強を続けていくつもりですか。
→(はい/いいえ)。
11. 日本語勉強は、あなたにとって将来どんな役に立つと思っていますか。
→(はい/いいえ)。
篇二:日语作文范文18篇
日语作文范文18篇
1.「私が住んでいる部屋」
日本は土地の値段が非常に高い。そのため、家を建てるにも部屋を借りるにも、かなり費用がかかる。私がいま住んでいる部屋も、私の国と比べると、かなり高い。
6畳の部屋に2畳くらいの台所ト?レが付いて3万円である。風呂付きの部屋がほしかったが、高すぎて借りることができなかった。今でも少し残念に思っているが、しかたがない。
風呂は近くの銭湯で我慢している。だが、私の部屋は二階の南向きで日当たりがよく、また、向かいは公園なので、環境はとてもいい。地下鉄の駅は歩いて10分位である。学校にも40分位で行けるので、だいたい満足している。
2.「私の国の季節」
日本では1年は3か月ずつ四つの季節に分かれています。1年を通じて気候は温暖で暑さ寒さもあまりきびしくありません。山脈【さんみゃく】が本州を縦 【じゅう】に走っているので太平洋側(表日本)と日本海側(裏日本)では気候の差が大きいです。表日本では、夏はむし暑く、冬は湿気が少なくて晴天が多いです。裏日本では冬は雪がたくさん降ります。いわゆる雪国では雪が4~5メートルもつもることがあるそうです。
北海道を除く各地は6月上旬【じょうじゅん】から7月中旬【ちゅうじゅん】にかけて高温.多湿のシーズンになります。8月から10月にかけては日本列島 【れっとう】の南西部は台風の影響を受けることが少なくありません。京都のような盆地【ぼんち】では降雨量は少ないですが、気温の上下【うえした】差が大きく、夏は暑く冬は寒いです。日本の大部分の地方で最もよい季節は春と秋です。桜の美しい4月や緑の美しい5月は海外の観光客も多く、また10月頃の紅葉も魅力的【みりょくてき】です。
3.「?ルバ?ト」
「?ルバ?ト」はもともとド?ツ語で「仕事」という意味であるが、日本では40年ほど前から、学生の副業の意味として使われるようになった。現在、日本の大学生の90%以上が?ルバ?トを経験しているという。そして?ルバ?トのために学校を休む学生も多いそうである。
授業はやぼっても?ルバ?トにはいく。そういう大学生たちは何のために働いているのだろうか。ある?ンケート調査によると、大学生の?ルバ?トは、サービス、販売など第3次産業の仕事が多い。そして、「どうして?ルバ?トをするのか」という質問に対しては「海外旅行をしたいから」「車を買うため」
などの回答が多かった。ほかにも、「貯金をして、留学の費用にするつもり」「学費は自分でかせぎたいから」「会社勉強になにから」という回答も見られたが、ごく少数てあった。この調査結果からわかるように、?ルバ?トの目的は遊ぶためのお金をためることが中心となっている。
たとえ遊びが.主な目的でも、?ルバ?トをすることで、労働の尊さやお金を得ることの大変さを体験できるのだから、大きな意味がある。しかし、?ルバ?トのためなら授業をさぼってもいいとのは問題である。
4.「病気」
日本に来て1か月ぐらいたったとき、病気になりました。そのときは、胃が痛くて何も食べたくありませんでした。どうして病気になったのかよくわかりません。はじめがまんして学校に行っていましたが、だんだんひどくなりました。それで、近くの病院に行きました。
お医者さんは「かぜが原因で胃炎になったのです。あまり心配しないで、ゆっくり休んだほうがいいですよ」と言いました。そして注射をして薬をくれました。私は勉強が遅れるから学校を休みたくないと思いました。しかし、お医者さんの言う通りにしたほうがいいと思って、家でずっと寝っていました。
二.三日したらだいぶよくなりましたが、あまり無理をしないように気をつけました。四日目に友達がお見舞いに来てくれました。病気をしないように、いつもきんと食事をして、よく休養することが大切だと思いました。
5.「スポーツ」
すもうは日本の国技 【こくぎ】です。わたしは高校生の時、ド?ツ初めてすもうを見ました。テレビで見たのですが、力士【りきし】があまり大きいのでびっくりしました。その時から、私はすもうが好きになって、友達とすもうの練習を始めました。今、ド?ツで、20人ぐらいの友達とすもうのクラブを作って、毎日練習をしています。
私の夢は、日本の?マチュ?すもう大会で優勝することです。今まで2回挑戦【ちょうせん】しました。1回目は、1回戦で、負けましたが、2回目は3回戦まで勝ちました。私は体が大きいので、一生懸命練習すれば、きっと強くなれると思います。
すもうは、何も道具を使わない、人間の力がぶつかる素晴らしいスポーツです。私はすもうが、ド?ツでももっと盛んなってほしいと思います。
6.「高校生活」
高校の時、私は毎朝7時20分に家を出ることにしていました。けれども、遅刻しそうになって走ったこともありました。帰りは、友達と偶に寄り道をし
て、ケーキ屋さんや本屋さんへ行きました。校則では禁止されていたので、何となくスリルがあって、ドキドキしたことを今でも懐かしく思い出します。私は3年間ずっと合唱【がっしょう】部でした。練習はつらくもあり、また楽しくもあまりました。1年に1度の発表会の前は、練習で帰りがおそくなることがよくありました。暗い道を、友達と駅へ向かう途中、悩みを相談し合ったり、10年後の自分たちについて、話したりしたりものです。今から思えば、このおしゃべりが、毎日の生活の楽しみだったのかもしれません。私が高校生活で得た一番大きなものは、友情だと思います。
7.「趣味」
私の趣味は書道【しょどう】です。休日はいつも午前から筆 【ひつ】と硯【すずり】を出して。夕方まで習字をしてすごします。でも、この習慣は日本に来てから始めたものです。もちろん私の国中国でも子供の時から、みんな習字を習います。しかし、国ではそれは趣味ではありませんでした。
日本では何でも非常にお金がかかります。ですから始めの頃、私は暇な時でも何もしないで一日中部屋にいました。でも日本語学校で習字のクラスが始まったので、私もやってみることにしました。漢字は私の国でも書きましたが、ひらがなを筆で書くのは初めての経験でした。その時私は筆で書くひらがなの美しさにとても感動しました。今、私はひらがなの練習に夢中になっています。それに習字をやっている、国のこと、特に高校生のころを思い出して、とてもなつかしい気持ちになります。習字は孤独【こどく】な趣味です。友達は「もっと外に出て遊んだ方がいいでしょう」と言いますが、私は習字をやっていると本当に時間をわすれてしまうのです。
8.「スト?」
最近、私が住んでいる?パートのとなりに スト? が出来た。スト?には、パンやおにぎりなどの食料品から、洗劑,などの雑貨まで、生活に必要なものはたいていそろっている。その上、24時間あいているので、いつでも必要な時間に買い物ができる。この店ができたおかげで、夜遅くお帰ってきたときでも買い物ができるようになった。
私のような一人暮らしの男性だけでなく、仕事で帰りが遅くなった女性も弁当を買っている。この店では、毎月の電気代や電話代を払うこともできる。それに、コピー機もあるので、たいへん便利だ。
このように、スト?のおかけで生活は便利になったが、よいことばかりではない。夜、車で買い物に来る人が増えたために、うるさくて勉強ができなく
なってしまった。エンジンを止めないで店に入ったり、店の外で大声でおしゃべりをしたりする人がいる。また、いぜんより道が汚くなった。
スト?を利用する人は、近所の人たちのことをよく考えてほしい。
9.「私の一日」
私は毎朝6時半に起きます。そしてラジオの中国語の勉強を始めます。中国語の発音は大変難しいです。7時半ごろ朝ご飯を食べます。
私の家は郊外にあります。会社は町のまん中にあります。家から駅まで10分あまり歩きます。そして電車で会社へ行きます。家から会社まで55分かかります。電車はいつもたいへんこみます。会社は9時に始まります。仕事はたいてい6時に終わります。どきどき駅からタクシーで帰ります。3分ぐらいです。170円かかります。
私の会社は旅行会社にいます。支店は全国に八か所あります。仕事はたいへんおもしろいです。私はよく出張します。来週は九州へ行きます。しかし、出張はとても疲れます。日曜日はほんとんどの会社は休みます。しかし、わたしの会社はめったに休みません。社員は交替で休みます。休みの日は一か月に4回とどです。その日は昼ごろに起きます。あまり外出しません。家でゆっくり小説を読みます。夜はビールを少し読みます。そしてステレオで音楽を聞きます。ときどきテレビも見ます。
10.「私の家族」
私の家族は4人と1匹です。両親と私、弟、それにゴンという名【な】の犬です。父は歴史家なので、セラリーマンのように毎日決まった時間に出勤しません。父は話が苦手なので、母が客の相手をします。高校へ行っている弟は将来外国で働きたがっています。
ゴンは今年10歳になります。とてもいばっていて、父がいない時はゴンが父の椅子に座っています。他の人が座ると、鼻にしわをよせて怒ります。寂しがりやで留守番も嫌いです。母や私が出かける支度を始めると、私たちの傍から決してはなれません。留守番をしなければいけないと分かると、私たちの靴を隠してしまいます。ゴンの最後の手は仮病です。ゴホゴホと咳きをしたり、びっこをひいたりすます。家族はそれに時時騙されます。
11.「日本語の授業」
日本語の授業は1週間に5回あって、文型【ぶんけい】や会話、漢字、作文などを練習します。本を読んだり、テープを聞いたり、ビデオを見たりもします。授業中は先生も私たちも日本語しか使いません。
始めに、簡単に復習をしてから、新出語や文型を習います。先生は絵や動作を見せて説明していきます。何回も文を聞かせてから、私たちに言わせます。私たちは文型を使って文を作ったり、先生の質問に答えたり、学生同士で質問しあったりします。
よく、先生は私たちに短い会話を暗記させて、役割練習をさせます。とても緊張しますが、実際に、体を動かしながら話すのは面白いので、私はこの練習が一番好きです。しかし、漢字は苦手です。先生は私たちに漢字が書いてあるカードを読ませたり、何回もかかせたりします。最後に、声を出して教科書を読みます。先生は私たちに一人ずつ読ませて、間違った読み方をなおします。
12.「お誕生日」
私の誕生日は4月23日です。今年の誕生日で私は30歳になりました。私はその日、友達といっしょに誕生日パーテ?ーをする支度をしました。まず、カフェをかりきりました。
そしてそこをきれいにかざりました。バースデーケーキにろうそくを21本たてました。それから私がすきなこん色のワンピースをきました。
5時からパーテ?ーを始めました。友達がたくさん来てくれました。そしてみんな私に「おめでとう!」と言ってくれました。私がケーキに立ててあるろうそくの火を消す時、シャンペンの栓【せん】をぬいてくれました。そして、人形やこう水や絵など、いろいろなプレゼントをくれました。それからうたを歌いながらビールを飲んだりスケーキを食べたり、ゲームをしたりして過ごしました。
13.「娯楽」
「日本人は働き蜂」とよく言われます。確かに、日本人は勤勉でょく働き、中には「仕事が趣味」という人もいます。しかし、誰でも仕事ばかりしているわけではありません。それでは、仕事から解放された時、日本人はどんなことに楽しみを見出すのでしょうか。
まずゴルフです。サラリーマンにとっては、たんに趣味というだけでなく「接待ゴルフ」といって、日曜日に青空の下でゴルフをするのは、趣味と仕事の両方ができて「一挙両得」のようです。
「時間と暇があれば旅行したい」、大部分の日本人がこう考えているのではないでしょうか。国内ばかりか円高の影響から海外旅行熱も高まるばかりで、休日の駅や空港は大変混雑します。
スポーツ観戦は野球、サッカー、相撲などに人気があります。テレビの番組表を見ると、いかに日本人がこれらが好きかがわかります。広いグランドで
篇三:考研日语作文范文26篇
考研日语(非日语专业)作文范例25篇
問題1
あなたは、外国の人があなたの国の母語で語りかけてきたとき、文法や言葉遣いが間違っていたら直してあげますか。それとも失礼になると考えて言わないでおきますか。 解答 直してあげる
私は間違っていたら直してあげる。
なぜなら、言葉の誤用に中には、相手の誤解を生んだり心を傷つけるような言い回しがあり、その不用意な一言のせいでコミュニケーションに障害が生じるとしたら、本人にとっても不幸だと思うからだ。
例えば、日本語の「あなた」という言葉は目上の人に使うと失礼になるが、欧米の人たちは誰彼の区別なく「あなた」を使う。それが初心者ならまだ許せるが、ぺらぺらしゃべる外国の人に「あなた」と言われたら、日本人は間違いなくむかっとするだろう。それは母語と関係しているのであり、何の悪意もないのだが、言われた日本人はいい気持ちがしない。こうした誤用は誰かが指摘してあげなければ、いつまでも直らない。
従って、異なる言語や文化を持った者同士のコミュニケーションが大切な時代には、自分が間違っていたら指摘してもらうし、相手が間違っていたら指摘してあげるといった率直さが美徳となると思う。
問題2
ある外国の人は「日本人は『はい/いいえ』がはっきりしないから、理解しにくい。日本人はもっとはっきり意思表示をするべきだ」と言います、あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。
解答 賛成する
私はこの意見に賛成である。
確かに日本人は「はい/いいえ」をはっきり言わない傾向がある。それは相手の気持ちを傷つけまいとする「和」の文化と言われるものだろうが、私たち外国人には賛成なのか反対なのか、好きなのか嫌いなのか、とても判断しにくい。
例えば、以心伝心とか、言葉を使わずに察しあう習慣は、日本社会のような同質性の高い同一民族社会では可能かもしれないが、私の国中国のように文化が異なり、言語が異なる多民族が暮らす社会ではほとんど不可能だと思う。きちんと意思表示しなければ、コミュニケーションが成立しないのである。今の日本も国際化が進んでおり、多くの外国人が住み、異文化間の交流が日常化している。そんな国際化時代には、はっきりとした意思表示や自己主張ができなければ、他人からも認めてもらえなくなるのではないか。
従って、私は日本人にはもっとはっきり意思表示できるようになってほしいと思う。
問題3
日本には昔からクジラの肉を食べる習慣がありますが、現在は食用としての商業捕鯨は全て禁止されています。あなたはこの商業捕鯨の一律禁止についてどう考えますか。 解答 賛成する
私は商業捕鯨の一律禁止に賛成である。
なぜなら、クジラは繁殖力が低いので、捕りすぎると資源の回復が遅いからであり、また、クジラは経済的価値が高く、商業捕鯨を一旦認めると、乱獲されやすいからである。例えば、1946年に「国際捕鯨条約」が締結されたが、その後も乱獲が続き、クジラを絶滅の危機に追い込んだのは周知の事実である。捕鯨国代表は、カンガルーと同様に間引
きが必要なまでに鯨が増えているとし、商業捕鯨の再開を主張しているが、鯨の生息数に関して、科学的に確定した合意が得られているわけではない。また、捕鯨反対派に対して「食文化への干渉」と言うが、IWCが原住民の生存捕鯨を認めているように、食文化まで否定しているわけではない。乱獲を防ぐための国際的管理体制が確立されない状況下で、商業捕鯨が再開されることに反対しているのである。
従って、私は現状における商業捕鯨の再開に反対する。
問題4
「言語や宗教、生活習慣など、民族間の文化的な違いが生む確執こそ、現代の地域紛争を生む最大の原因である」という意見があります。あなたはこの意見をどう思いますか。 解答 反対する
私はこの意見に反対である。
なぜなら、現代の地域紛争は単に宗教や言語の差異から起こるのではなく、主に経済?政治的理由から生じているからである。
例えばパレスチナ問題である。「パレスチナ人」という民族概念もユダヤ人国家イスラエル誕生で土地を追われ、難民となった人々の共通の運命をてこに形成されたのであり、歴史的にも新しい事態である。それ以前のパレスチナでは多数派であるイスラム教徒と、少数派であるキリスト教徒やユダヤ教徒が住んでいたが、人々は宗教や民族の違いに関わらず、共存して暮らしていたのである。また、アフリカ各地で部族間紛争が頻発しているが、そもそもヨーロッパ列強がが植民地化のために諸部族や諸民族の暮らしを無視して、人為的に引いた国境線が原因となっている。
従って、文化や宗教の違いがあっても人々は棲み分けし共存してきたのであり、文化の違いが地域紛争を生んだのではないのである。
問題5
ごみ減量やリサイクルを促進するために、残飯や紙、プラスチック容器などの一般家庭ゴミの回収も有料化するべきだという意見があります。あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。
解答 賛成する
私は一般家庭ゴミの回収有料化に賛成である。
なぜなら、ゴミを捨てるのにお金がかかれば、市民もゴミの分別やリサイクルに関心をもつし、ゴミ減量にも目に見える効果が期待できるからだ。
例えば、家電ガミの回収の有料化によって、家庭から捨てられる家電は半減したし、家電メーカーでも使える部品を再利用して製品として再生するなどの取り組みが進んだ。同様のことは家電ゴミ以外でも起こると思う。食べ物を無駄にしていないかとか、使い捨てのプラスチック容器のように、使い捨てとなり、再利用が困難なモノを作っていないかなど、消費者からの生産現場への問題提起となり、リサイクル社会への移行が進むに違いない。確かに、家計の負担は増える。しかし、今までもゴミ処理費を税金として住民が負担していたことに変わりはなく、住民自身、その長短を考えるべきだろう。
以上の理由から、私は一般家庭ゴミの回収有料化に賛成する。
問題6
「地球温暖化を防ぐためにも、できるだけ自動車や電気を使わない生活をするべきだ」という意見がありますが、あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。
解答 人々の意識
私はこの意見に賛成である。
なぜなら、地球温暖化の最大の原因は、今日の「消費は美徳」とする大量消費型社会にあり、エネルギー浪費型の生活スタイルにあると思うからだ。
例えば、自動車がなければ本当に生活できないのか。クーラーがなければ生きていけないのか。極論すれば、それらはなくても生きていけるはずだ。しかし、水、空気、土地、太陽、植物といった自然が壊わたら、人は生きていけない。せめて、近くの移動は自転車を使い、多少の暑さ寒さに耐えるぐらいのことはできることだ。自然は有限であり、どこかで人類が欲望を自制することを学ばなければ、人類もまた恐竜の二の舞になるだろう。この地球には、60億人を越す人類が、先進国並みの消費生活を享受できるような余地はないのである。
従って、私は未来の子孫のためにも、可能な限り車や電化製品に頼らない生活をすべきであり、資源リサイクル型社会を目指すべきだと考える。
問題7
最近、電子辞書が普及していますが、あなたは外国語を学習するとき、普通の印刷された辞書と電子辞書と、どちらが勝っている人激い蓼工
解答 普通の辞書
私は外国語の学習には、印刷された普通の辞書の方が勝ると考える。
なぜなら、単に意味を調べるだけなら電子辞書の方が便利だが、言語学習には語彙や例文を覚えるための練習があり、そのためには下線を引いたり、メモしたりできる辞典の方がいいと思うからだ。
例えば、外国語を学ぶための教材に電子教科書が使われないのは、言語習得には手で書いたり、声を出して反復したり、教師の説明をメモしたりと、様々な作業が必要だが、電子教科書ではそれができないからであろう。また最近、電話番号を記憶させておける携帯電話が普及したために、人は相手の電話番号を覚えなくなったと言われるが、同様のことが外国語学習でも言えそうである。人は易きに流れるものであり、便利になればなるほど、機械に頼り、覚えたり考える努力をしなくなるものだからである。
従って、言語学習には、日々の努力の跡がまざまれる普通の辞書の方が勝ると思う。
問題8
ある人は、「子供に悪い影響を与えるテレビ番組は、法律で規制するべきだ」と言います。ある人は、「表現の自由を侵害することになるので、テレビ番組を規制するべきではない」と言います。あなたはどちらの意見に賛成しますか。
解答 規制すべきだ
私は、「子供に悪い影響を与える可能性のあるテレビ番組は法律で規制すべきだ」という意見に賛成する。
なぜならば、テレビの番組は、見たい人だけが足を運ぶ劇場や映画館とことなり、誰もが見る可能性がある自宅に、一方的に送られてくるものだからである。露骨なベッドシーン、残酷な暴力シーンなど、明らかに子供に有害と思われる番組が、野放しにされているのは好ましいことではない。
「殺人者をテーマにした番組を見た子どもが、全員人殺しをするわけではない」が、犯罪行為を英雄のように描く番組や、暴力礼賛のような番組が、子供たちに何の悪影響も与えないと断言できるのだろうか。また、正しいかどうかを疑う確かな目が、まだ養われて
いない子供には、発展段階に応じた情報や内容が提供されるべきだろう。
従って私は、子供に悪い影響を与える番組を規制することは、子どもたちの健全な感受性を養う上で、必ずポラスに働くと思う。
問題9
将来、学生はコンピュータなどの情報機器を使った在宅学習か、従来通り学校に通って受ける学校教育かを自由に選択できるようになるでしょう。その場合、あなたはどちらを選びますか。
解答 学校教育
私は学校教育を選ぶ。
なぜなら、共通の学びの場である学校という集団生活の中でしかできないことがあると思うからである。例えば、友との交流や、クラスのみんなが力を一つにして何かを実現する喜びなど、自宅に引きこもっていただけでは味わえないことである。
確かに今日の学校では、いじめ、不登校、暴力などの様々なことが起こっている。私自身、学校の勉強が楽しいわけでもないし、学校という集団生活の中では、煩わしいこともあれば、自分の思い通りにならないこともある。しかし、人は一人では生きていけないし、人との関係に中でこそ喜びもある。また、学校といういろいろな個性が出会い、集団で生活する経験を通して、私たちは実社会で生きる力を身につけるのではないだろうか。これらのことは、ひとりでパソコンに向かい在宅学習をしているだけでは、決して学ぶことはできない。
以上が私が学校教育を選ぶ理由である。
問題10
あなたは、情報源として、新聞とテレビと、どちらの方が信じられると思いますか。どちらかと選んで、あなたの意見を書いてください。
解答 新聞
私はテレビよりも新聞の方が信用できると考える。
なぜなら、新聞は速報性よりも、事実を正確に伝え、解説することを目的としているからであり、テレビよりも感情や過剰な脚色を交えぬ報道ができるからだ。
例えば、アメリカの同時多発テロ事件の報道にしても、テレビではアナウンサーが絶叫し、センセーシュナルに報道していたが、映像や音声があるおかげで臨場感はあるものの、実際の被害はどうなのか、どうしてこのような事件が起こったのかなど、冷静になって知りたいと思う、やはり翌日の新聞を読むことになる。やはり、文字を中心とする新聞の方が、活字化するという作業の中で言葉が選ばれ、事実や論評げのチエックが働くからだと思う。確かに、新聞にも誤報がないわけではないが、テレビのように視聴率を稼がんがための演出や「やらせ」が少ないぶん、信びょうせいも高くなる。
従って、私はテレビよりも新聞のほうが信用できると考える。
問題11
日本では学校教育法(第11条)で体罰を禁止されていますが、「ケースによっては、体罰が必要なこともある」と主張する人がいます。あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。
解答 反対意見
私はこの意見に反対である。
なぜなら、体罰というの外からの強制であり、このような他律的な強制力では自覚的規律の育成は不可能だと考えるからである。
例えば、これは実際の話であるが、学校でいじめ事件が発生し、いじめた者たちを生活指導の教師が体育館に何時間も正座させ、姿勢が崩れた者を竹刀で打つという体罰を加えたことがある。それで、いじめがなくなったかというと、結果は全く逆であり、よりいじめは陰惨となり、巧妙となった。体に傷が残らないようないじめが、訴えた生徒に加えられたのである。この一例を見ても、体罰が有効でないばかりか有害であることがわかる。私は教室で騒
いだり、喧嘩をした生徒を教室に立たせたり、運動場を走らせたりする程度のことまで体罰とは言わない。しかし、一旦制度として体罰が認められれば、それが過剰に行使される危険の方が大きい。従って、私は体罰を認めることに反対である。
問題12
「今の大学入試制度を廃止し、一定の成績で高校を卒業した学生には誰でも大学進学の資格を与え、卒業を厳しくする方式に変えていくべきである。」という意見があります。あなたはこの意見に賛成しますか、反対しますか。
解答 反対意見
私はこの意見に反対である。
なぜなら、競争こそ進歩の原動力であり、努力した者が報われ、能力のある者がよりその能力を磨けるいい大学に進学するのは当然の権利だと考えるからだ。
例えば、大学が成績の善し悪しを基準にしないで、誰でも学生を受け入れるとしたら、大学ではその水準に合わせる授業が必要となるため、授業レベルは低下し、学習意欲も高く能力もある学生は犠牲にされることになる。中高生たちは、「勉強は大学に入ってからでもいいさ」と怠けるようになるのではないだろうか。安易さは堕落を生む。
この競争社会では安易な道はない。勝ち残るためには努力が必要なのである、それは、中等教育でも大学でも、そして社会に出ても、連続的に続くプロセスなのである。むしろ、受験競争を悪としたり、能力主義を否定したりする戦後学校教育の悪平等主義こそが、教育荒廃を生んだと考える。
従って、私はこの意見に反対である。
問題13
規則は厳しいが、有名大学への進学率が高い受験重視の学校と、進学率は余りよくないが、規則は緩やかで子供の自主性を尊重する自由な学校があるとします。もしあなたが親なら、自分の子供をどちらの学校に通わせますか。
解答 自由な学校
私なら、子どもの自主性を尊重する自由な学校に通わせる。
なぜなら、人間にとって幸せとは、いい大学を卒業して、一流企業に就職し、高い地位につくことにあるとは限らないからである。
例えば、ラーメンづくりに情熱を注ぎ、少しでもおいしいラーメンを作りたいと日々努力している人は、大会社の社長や大学教授よりも不幸せだと言えるだろうか。豪邸に住む人々が、平凡なサラリーマン家庭よりも幸せだと言えるだろうか。
人は強制されて何かをしているとき、幸せを感じはしない。また、人は自分自身が選んだ好きな道に打ち込むことを通してしか、自分の能力を開花させることはできない。それはこども自身がつかみ取るものであり、親が自分が望む「幸せの形」を押しつけるべきで